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本名:佐々木 園美 Sonomi Sasaki
(2019年1月、離婚し旧姓、佐々木に戻る)
インターネット上の名前:にゃんころ堂、てまり-ねこ、temari-catを使用
生年月日:1965年9月5日
職業:手まり職人、2005年からインターネットで製作販売をする。
住所:静岡県伊豆半島中央部
母方、曾祖母、祖母、母が手まりを作っていたので
その影響で小学生のころから手まりに親しむ。
初めて手まりを作ったのは小学生のころだが、この時は挫折。
中学生のとき、見よう見まねで完成させた手まりが「あめ玉」の手まり。
地元の高校卒業後、和裁の専門学校へ行く。
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★インターネット販売を始めたきっかけ
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実はこの世界に入って結構長いので、私自身が知らないところで誰かと、どこかでご縁があったかもしれません、
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某メルマガを見ていて『ワード、エクセルの基本操作ができる方募集』
こんな広告を見て、やってみよう!
そう思ったのが最初にインターネットでビジネスをするきっかけでした。
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子育て中の主婦の方、身に覚えがあると思いますが、出産後、パートに出たい。
子供面倒は誰が見るの?
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子供が幼稚園、保育園に入ったからさて、お勤め社会復帰と思うも子供は、しょっちゅう熱を出してお休み。
パートをしたいのにお休みばかりで仕事に行かれない。
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私は息子が保育園に入り(田舎なので保育園しか無いのです)
その送り迎えに疲れ果て自分が病気になり、毎日点滴に通う結果に。
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自分のほうが少し落ち着いてきたら
今度は、母が末期がんとわかりまして、怒涛の?年間でした。
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そんな中、私はお勤めをするのはもう無理だな。
パートももう無理だな。
そのように思ったのです。
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そして手に入れたパソコンが、NECのデスクトップでした。
当時のバージョンはWindows98でした。
まだ、いろいろなソフトも非常に高額で、ネット回線も非常に遅かったのです。
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パソコン操作を覚えながら(今では何でもネット検索ですが、当時は書籍に頼るのみ)パソコン雑誌などをよく見ていました。
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ワードやエクセルの入力作業でお仕事をする、主婦のグループが居ることを知り
いろいろなメルマガ広告で、在宅ワークを知ることになります。
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★在宅ワークを知るも失敗の連続
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当時はかなり怪しいものが多く
ネット = 怖いもの
という認識が一部にあったのも否定できません。
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実は、ほぼすべてのトラップに、私はかかっているかもしれません。
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そんな中、書店で見つけた1冊の本がありました。
『 ヤフオクで稼ぐ 』
私が見たのは本と言っても業界用語で言う、ムックというタイプの物です。
雑誌と本との中間に位置するものです。
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その本を立ち読みしていましたら
なんと!
自作のキーホルダーを販売している方が居ました。
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この方は鉄道が大好きで粘土で電車の模型を作りその手法、工程をすべて公開してしまう
この方法で、しかるべき売り上げを上げているというのです。
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私は、これだ!とひらめきました。
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私は生まれつき足が悪いのです。
若いころはそれなりにスーパーのレジや、喫茶店のウエイトレスなどもしていましたが
この頃は漠然と、もう無理だなと思っていたのです。
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そして、自宅で何かを作って販売したりお教室を開いたりして
それを元に生活したいと考えていました。
過去チャレンジした物は、洋裁、和裁、刺繍、編み物、パッチワークなど
針と糸に関するものはほぼ全て経験があります。
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★手まりを習ったきっかけ
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母の命があと少しで終わるとわかった時、私がそれまで積極的に行ってこなかったものが
ただ一つだけありました。
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それが、手まりです。
初めて一人で完成できたのは中学生のころでした。
それまで母や祖母が作るのを見ていましたが、気まぐれで作ることはあっても
本気でやろうとは思わなかったのです。
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でも母の命の終わりが見えたときに、今、母から習わないと習う機会を失ってしまう。
そう思ったのです。
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全国的に見たら、母よりすごい人はたくさん居ます。
でも、私の住む伊豆では母が一番でした。
母の時間が終わる前に、なるべく多くのことを吸収しておこう。
そのように思ったのでした。
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★手まりの制作販売開始
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この頃ヤフオクは、ネガティブなニュースが多かったのです。
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その為に、私は楽天フリマに作品を出していました。
2005年の事です。
作り方は楽天ブログに出しながら、作り方解説が終わった作品から順次フリマに出していました。
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でも、最初の1年はまったく売れませんでした。
そして、2007年の秋にeBay輸出入のマニュアルを林一馬さんから購入しました。
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知り合いが私に絹の手まりを作ったら?
と言ってくれたのをきっかけに、絹糸と言ったら中国から安く買えるのでは?
と思ったのです。
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そして、作品も海外であればそれなりに売れるのでは?
とも思いました。
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この時は、絹糸は気に入ったものを手に入れることは、難しかったのです。
そして手まりの平均的相場も非常に安かったのです。
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私が売りたい価格では扱っていませんでした。
でも試行錯誤しながら、少しずつ売り上げを伸ばすことができました。
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その後、紆余曲折ありましたが
現在も手まりの製作販売を続けています。
note の「私と手まり」も読んで頂けると嬉しいです。
https://note.com/temari_cat/n/neb6916390bb3